労働災害に遭い、労災保険の給付を受けて休職している間に、ケガを負った職場へ戻ることに迷いが生じることもあるでしょう。同じ業務に戻ることへの不安や会社への不信感、異動を打診されているなどを理由に、退職を考えるケースもあるかもしれません。なかには、自分の意思に反して、会社から退職勧奨されたり、解雇されたりしたケースもあるでしょう。
ここで気になるのが、退職後に労災保険の給付は打ち切られてしまうのではないかという点です。労災による療養中に退職を考えたら知っておきたい労災保険の給付条件や注意点についてベリーベスト法律事務所の弁護士が解説します。
1、労災保険の基本
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(1)労災保険とは?
労災保険とは、雇用されている労働者が、仕事中や通勤途中に起きた出来事によってケガ・病気になった場合や死亡した場合に、保険給付を行う国の制度です。正式には、労働者災害補償保険といい、その名のとおり労働者やその遺族の生活を守るための保険制度です。
ここでいう労働者とは、会社に雇われている正社員だけに限られません。会社に雇用されており、使用者との間に指揮命令関係があれば対象となるので、パートやアルバイト、契約社員なども含まれます。労災保険は、基本的には一人でも労働者を雇用する場合には加入が義務付けられている強制保険です。他の社会保険と異なり、その保険料の全額を事業主が負担する点が特徴です。 -
(2)給付の条件
労災給付の対象は、仕事中に発生した「業務災害」と、通勤途中(帰路を含む)に発生した「通勤災害」の二種類があります。
① 業務災害
業務災害とは、業務上において発生した負傷や疾病のことをいいます。業務時間内であっても、業務に関係のない私的な行為から生じたケガや、故意によるケガなどは該当しません。
業務災害と認められる可能性があるケースとしては、次のようなものがあります。- 工場での作業中に、裁断機に手を挟まれてケガをした。
- 高所作業中に落下して骨折をした。
- 飲食店で調理作業中に油がはねて顔にやけどを負った。
② 通勤災害
通勤災害とは、労働者が仕事に向かうため又は仕事から帰宅するための移動中に発生した負傷、疾病のことです。
必ずしも、会社に届け出ている通勤方法やルートには限られず、通勤のために合理的な経路であれば問題ありません。
通勤災害と認められる可能性があるケースとしては、次のようなものがあります。- 自宅から会社にバイクで出勤する途中に交差点でトラックと接触して転倒、骨折した。
- 別の店舗の見回りに行くために移動中に転倒してケガをした。
2、退職と労災保険の関係|退職したら給付は受けられない?
労災によるケガや疾病の治療中に退職すると、労災給付が止まってしまうのではないかという不安が生じるでしょう。この点については、労働者災害補償保険法において次のように規定されています。
【労働者災害補償保険法 第12条の5第1項】
保険給付を受ける権利は、労働者の退職によって変更されることはない。
つまり、労災によるケガまたは病気の治療中に、会社に復職せずに退職することとなったとしても、労災の給付は継続して受給することができます。
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(1)自己都合退職の場合
退職して療養に専念したい、家族が復職に反対しているなどの事情から、労働者が自主的に退職を希望した場合は、自主退職に該当します。
自らの意思で退職した場合は、給付を打ち切られると不安を抱かれる方は少なくありませんが、前述したように退職の理由にかかわらず、労災保険給付が退職によって打ち切られることはありません。
療養(補償)給付や休業(補償)給付も、条件を満たす限り、退職後も変わりなく支給されます。また、退職後に残存した障害に関する障害(補償)給付の請求を行うことも可能です。在職者と同様に審査を受けて、支給決定を受けることができれば、在職者と同様に、障害(補償)給付も受けることができます。 -
(2)定年退職の場合
労災によるケガや病気の治療中に定年を迎えることもあります。また、契約期間の満了による退職時期がくる場合もあるでしょう。定年や期間満了となると、そもそもその後の賃金を受け取ることが予定されていません。そのため、労災補償を受け取ることができるのか心配になるところです。
しかし、このような場合でも、自主退職の場合と同様に労災保険の給付は継続して受けることができます。 -
(3)労災による解雇は認められる?
職場に復帰したいという意思があるものの、会社から解雇されてしまい、やむを得ず退職するというケースがあります。
しかし、労働基準法第19条では、労働者が労災によるケガまたは病気により休業している期間と、その後30日間の解雇を制限しています。
つまり、労災によるケガや病気によって休業していることを理由とした解雇は違法です。 -
(4)覚えておきたい「打切補償」
療養開始後3年を経過しても治療が終わらない場合には、平均賃金の1200日分を労働者に支払うことで、労働基準法に基づく補償を終えることが認められています(労働基準法第81条)。これを「打切補償」と呼びます。また、労災保険から傷病補償年金の支払いを受けている場合は、会社が打切補償を支払う必要はなく、解雇することが認められます。
(3)において解雇は制限されると解説しましたが、打切補償が支払われており、要件を満たしている場合の解雇は、適法な解雇と認められることを覚えておきましょう。 -
(5)退職勧奨を受けた場合
解雇まで至らなくても、会社側から退職を打診されることがあります。いわゆる退職勧奨です。退職勧奨はあくまで退職のすすめのため、労働者に退職する意思がなければ、これを受け入れる必要はありません。
3、退職とともに会社に損害賠償請求をしたい
働くことができなくなった労働者にとって、労災保険は当面の生活を保障してくれる重要な制度です。しかし、労災保険給付は労災による損害をすべてカバーしてくれるわけではありません。休業(補償)給付及び休業特別支給金によって受け取ることができる金額も、基礎賃金の8割が限度であって、本来働いていたらもらえたはずの給料分がすべてもらえるわけではないのです。また、労災保険では慰謝料の支払いはありません。
不足する部分や慰謝料は、損害賠償という形で会社に請求することができます。
ただし、会社に損害賠償を請求するためには、①会社側に不法行為による使用者責任が認められること、または、②会社側に安全配慮義務違反があったこと、のいずれかを労働者側が立証する必要があります。
① 不法行為による使用者責任
不法行為による使用者責任とは、労災事故が他の労働者の故意・過失によって発生した場合、その労働者を雇用している会社が負う責任です。
たとえば、ベルトコンベヤーの操作を誤ったために、他の労働者がそれに巻き込まれて大ケガをしてしまったという場合です。
会社は労働者が業務に従事することによって利益を得ているため、業務中に発生した損害については賠償を負う義務があります(民法第709条・第715条)。
② 安全配慮義務違反
会社は、労働者に対して、安心して安全に働ける労働環境を提供する義務があるとされています。この義務を「安全配慮義務」といいます。
会社側が安全配慮義務を怠ったことにより、労災事故が発生した場合は、会社に対して安全配慮義務違反を根拠に、損害賠償請求をすることができます。
労災事故に関する証拠資料のほとんどは、会社が握っていることが通常であり、労働者が会社の不法行為責任や安全配慮義務違反を自力で立証することは簡単ではないのが実情です。これらを立証するためには、証拠資料の収集や法的な調査・検討が必要になります。そのため、会社に対する損害賠償請求を検討する場合には、弁護士に相談することをおすすめします。
4、退職後に労災の支給請求はできる?
退職後であっても、労災保険の支給請求を行うことができます。在職中に労災保険の支給請求をしなかったとしても、その権利を失うことはありません。
ただし、退職後の支給請求では、労災手続に必要な会社側の協力が得られにくいという問題があります。労災給付の申請用紙はすべて様式が決まっており、所定の内容を記載しなければなりません。申請用紙には、「事業主の証明」の記載欄があります。労災の発生年月日や、原因、発生状況について、会社が押印をして証明します。
退職後に労災申請をする場合の懸念点として、会社が「事業主の証明」欄への記載押印を拒むケースが考えられます。
しかし、申請をあきらめる必要はありません。労災に該当するかどうかを判断、決定するのは、会社ではなく労働基準監督署です。事業主の証明が得られなかった理由を付することで、労働者の手続きだけで申請を受理してもらえます。したがって、会社を退職して会社と連絡を取りにくい場合や、会社から証明を拒否された場合でも、きちんと申請すれば労災補償給付を受けられますので、あきらめずに申請してください。
なお、申請に関して不明な点がある場合は、管轄の労働基準監督署の窓口へ問い合わせると良いでしょう。
5、まとめ
休業を余儀なくされるような労災事故に遭遇したとき、会社に戻ることをためらう人は少なくありません。『長く休んで会社に迷惑をかけたくない』『また同じような事故が起きることを考えると不安だ』など、理由はさまざまですが、共通するのは退職後の経済的な不安です。
労災保険給付の支給が認められていれば、退職後も労災保険を受給し続けることができますが、労災補償だけでは経済的な安心に至らないこともあります。特に、後遺障害が残るなど、重い事故の場合は、会社に対する損害賠償も検討すべきです。
ベリーベスト法律事務所では、労災専門チームの弁護士が、労働災害による会社への損害賠償請求をサポートしています。おひとりで、不安や悩みを抱え込むことなく、まずはご相談ください。
交通事故部マネージャー弁護士として、交通事故(被害者側)、労災問題(被災労働者側)及びその周辺分野に精通しています。マネージャーとして全体を統括し、ノウハウの共有に努めつつ、個人としても多数の重傷案件を含む400件以上の案件を解決に導いてきました。お客様と真摯に向き合い最善の解決を目指すことをモットーとしています。
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